第343回 キプロス通信 北に再入国

  • 2009/04/26(日) 13:46:40

Nr.343, Wiedereinreise nach Nordzypern

昨日と同じ検問所を抜けて北キプロス入国。
キプロス出国時、今回は何も聞かれずに手振りで「通れ通れ」。
ゆるい、ゆるすぎる。

実はわたしは北側の工作員で、
南北間で不正な取引を企んでいるかもしれないではないか。

北キプロスからもらったビザは90日分もありました。
どこに行くのかとか、何日滞在するつもりか、などの質問は一切なし。
わたしが南側の工作員だったらどうするんだ。


北ニコシアのバス停からキプロス島北海岸の町、ギルネ(キレニア)に向けて出発。


運転手に頼まないと閉まらない自動扉。

山肌には巨大な北キプロス国旗。南側からも容易に望める。


どうも立場が弱いと自覚している国は、こうやって示威行動を取る様だ。
板門店近くの巨大な北朝鮮旗とか、竹島の韓国旗とか。

この坂を上れば海が見える。


ギルネまで所要30分、3,50トルコリラ(1,75ユーロ)。

着きました。港越しに眺めるのはキレニア城。


弧状の港を囲むようにレストランやビアガーデンが出ている
観光客のメインストリート。

さっそくトルコビールを一杯。4リラ(2ユーロ)。


人に慣れているネコ。


平和だ。紛争国とは思えない。

ギルネのマーク。


赤地に、月と星に守られた(挟まれた)キプロス島。
いやでもトルコの強い影響力を思わせる。

うがった見方をすれば、
「海の向こうから鳩(トルコ)が平和(オリーブ)を運んできた」という、
旧約聖書にある大洪水明けのエピソード。

キリスト教徒(新教・旧教・正教会)向けのアピール。
これ以上、自らの正当性をアピールするものはないだろう。

うがった見方どころか、鳩の体には「1974年7月20日」とある。
まさにトルコがキプロス島に侵攻してきた日だ。

町なかに立つ真っ白なギリシャ正教会。


青空にまぶしすぎる。


内部はイコン博物館。


南に逃げた人々が放棄していったんだろうか?

第342回 キプロス通信 聖ソフィア大聖堂

  • 2009/04/23(木) 22:32:16

Nr.342, St. Sophienkathedrale

ニコシアの城壁のほぼ中心部に位置する建物。
南北境界線にもほど近い北側の観光地です。

狭い道路の間にどどーんと立っているので、正面から全体像を撮影できない。


わたしは建築に詳しくないので受け売りですが、フランスゴシック様式だそうです。

旧聖ソフィア大聖堂。
1209−1228年建造。
1489年にヴェネツィアがキプロス島を支配するまで、キプロス王はここで戴冠した。

建物の入り口。何かがおかしい。


普通あるべきものがない。


初めの写真に写る2本の特徴的な塔が示すとおり、
この建物はイスラムのモスクです。

現在の名前はセミリエ・ジャーミィ(モスクの意)。
1571年、オスマン・トルコがキプロス島を占領。
その経緯でかつてのキリスト教会がモスクにリフォームされた。

 せっかくなら二世帯住宅にすれば良かったのに。。。
 違う価値観を持っていると一緒に暮らせないみたい。
 同居はいやなんだって。。。


閑話休題。
そのため偶像に当たる彫像や壁画が、取り払われたのでしょう。

その代わりに、カリグラフィーや木が描かれている。


そして、完成していなかった塔にはミナレットが建てられた。


モスク入り口正面。「キリスト教会をモスクに作り変えるとこういうことが起きる」の例。
「絨毯が斜めになる」の図。



キリスト教会は通常、入り口が西に面し、祭壇が東を向いている。
信者はそちらに向かって祈りを捧げる。
(キリストの復活を日の出とかけた、と聞いたことがある)

しかしイスラム教徒はサウジアラビアにあるカアバ神殿に向かって祈る。
よって国や町によって方角が変わる。モスクの建つ位置によっても変わる。

美しいミフラーブ。カアバ神殿の方角を示す壁龕(へきがん)。


その正しい方角を示すのに使われるのが写真のミフラーブ。
大きいモスクには幾つも備わっている。

この大聖堂をモスクにリフォームする時、
さすがに曳家は出来ないので、絨毯を敷く角度を変えた。結果、斜めになった。

説教壇。
北キプロス国旗は分かるが、なぜトルコ国旗があるんだ!


壁と天井は一面に白く塗られている。
塗りつぶされたり削り取られたりしたフレスコ画や墓標があったかもしれない。
かろうじて目視できる十字架跡が1箇所あった。

照明が低いのもイスラムの特徴だとわたしは思う。


旧祭壇から入り口(西側)を望む。


このモスクは1491、1547、1735年に地震によってかなりの被害を受けたそうです。


この日はまた南側に戻り、別の友人宅に泊まる。

翌日はいよいよ北ニコシアを抜けて別の町に行きます。

第341回 キプロス通信 北ニコシア

  • 2009/04/22(水) 22:52:50

Nr.341, Nordnikosia

北キプロス側の砦から旧市街に入る。
道端で子供たちがサッカーをしており、大人たちは井戸端会議の真っ最中。

南側のショッピング街とは光景を異にする。

左側に並ぶトルコ系住民の家並み。奥に砦の1つが見える。


かつての城壁の外はサッカー場として使われていて、
このすぐ右は南側に属する。

砦の部分。すぐ脇に国連キプロス平和維持軍
UNFICYP(UN Peacekeeping Force in Cyprus)の監視施設が立つ。


北側から南を見下ろす。向こう側は全て南ニコシア。


フェンス一枚隔てる所まで公園になっていて自由に近づけるが、
すぐ隣では小銃を構えた北の兵士(またはトルコ兵?)が歩哨をしている。

市内の建物に残る弾痕。


とある民家の庭先。北キプロス国旗とトルコ国旗が並んで翻る。
中央は、南北統一に消極的な政党の旗。


政治的な話に飽きた人もいると思うので、観光に移る。

旧市街のほぼ中央に位置するかつての隊商宿、ビュユック・ハン。1572年築。


回廊がパティオを取り囲む。現在はレストランや土産物屋として利用。


夕陽でコントラストが強い。宿屋の面影がよく残る角度。


店の看板。


こうしてみると西洋世界から離れ、トルコ・中東色がかなり濃い。

では、そこに建つかつてのキリスト教会を訪れます。

第340回 キプロス通信 北に入国

  • 2009/04/21(火) 21:17:06

Nr.340, Einreise nach Norden.

週末はイースターのため、金曜から月曜まで4連休でした。

この機会を利用して、普段できなかった遠出を思い立ち、
キプロスの首都ニコシアへ行くことにした。

リマソールからの移動はバスを利用し、約1時間半。

出発した金曜日は、リマソールで知り合った
ニコシア在住のご夫妻の所に泊めてもらい、翌土曜日から行動開始。



ニコシアの旧市街は、11の砦を持つ円形の壁に囲まれている。

一部は取り壊されて堀状になっているものの、
衛星写真を見るとその美しい幾何学模様がはっきりと見て取れる。

その中央をほぼ東西に分断するグリーンラインと呼ばれる分断線がある。

いわば山手線の中の中央線です。
(いずれも北キプロス側から撮影)

道路がブロックで途切れている。


一本隣の道。民家の庭先で行き止まり。


見えにくいですが、手前に北キプロス国旗とトルコ国旗。奥にギリシャ国旗とキプロス国旗。
つまりキプロス島においてトルコとギリシャが代理戦争をしている。


山手線の外側にある検問所を通って北キプロス入り。

キプロス出国時には駐在の警察官に国籍を口頭で聞かれただけで、
パスポートの提示すら求められない。


それはそうだろう。

南のこちら側としては、北部は不法に占領されているだけであって、
向こう側に行くことを「キプロス出国」とは見なしていない。

かろうじて職務質問という程度の質問で終わり。


コンクリートで作られた柵を通り抜けると、左側に立つのは大きな旧ホテル。
ここは国連軍が駐屯地として使っている。


奥が国連軍駐屯所。旧レドラパレス。手前は放置された建物。
この中間にある道を右に行くと北キプロスの検問所。(北側から撮影)


こう書くと緊張した空気が漂っているように思われるが、そこは南国。
ベランダでくつろぐ幾人もの兵士が見えるだけで、いたって平和である。


ホテルの反対側には紛争時に破壊されたままの建物が残っていて、
内部には土嚢も見える。

有刺鉄線に監視カメラ、撮影禁止を警告する看板、UNの車両、迷彩塗装のドラム缶。
(というわけで検問所間の写真はありません)


出国して200mほど進むと北キプロスの国旗とトルコ語の看板が現れる。

こちらは独立国家を標榜しているだけあって、
しっかりとパスポートのチェックを行う。

ただし北キプロス入国スタンプがパスポートに押されると
キプロス入国とギリシャ入国が拒否されるので、
北側も旅行者の便宜を図るために別紙を既に用意しており、
何も言わなくてもそちらに入国印を押すシステムになっている。

だから恐れる必要は全くありません。

これが別紙の北キプロス入国・出国印。滞在許可日数は係員の匙加減ぽい。


いよいよ北キプロスの首都ニコシアを観光します。

第339回 キプロス通信 北キプロス議会選挙

  • 2009/04/20(月) 19:58:51

Nr.339, Parlamentswahl der Türkischen Republik Nordzypern

この北キプロス議会選挙。
ヨーロッパではちょっとした話題になっています。多分。

これでまた、キプロス再統合の話が遠のいたでしょう。

何はともあれ、
1974年、キプロス島に侵攻し、分断の直接的原因を作ったのはトルコです。

トルコ系住民の保護が名目だそうですが、
これが許されるなら日本に住む中国系、韓国・朝鮮系住民保護のために
かかる国が日本に侵攻し、横浜や新大久保を保護下に置く事も可能になります。

もしくは4月20日、ヒトラーの誕生日にアジア人を襲う
モスクワのネオナチから日本人を守るために派兵して良いことになります。
それは大げさか。

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今回、初めて北キプロスに足を踏み入れました。
両国の首都ニコシアを越境して、
キプロス島北海岸に面する町ギルネへ(慣用名キレニア)。

この日は北キプロスの議会選に当たっており、
夜、開票結果を聞いた人々が嬉々として町に繰り出していました。

ある政党事務所の前には支持者が大勢集まり、
通り過ぎる車はその勝利政党の旗を掲げている。

更にそこには「北キプロス国旗」と、「トルコ国旗」。
ここに北キプロス問題の本質が見える。


北キプロス議会(定数50)選挙結果。

野党。保守系、国家統一党UBP(Nationale Einheitspartei) 得票率44%、26議席。
与党。共和トルコ党CTP(Türkisch-Republikanischen Partei) 得票率29%、15議席。

勝利政党UBPの事務所(左の北キプロス国旗と、右のトルコ国旗)


集まったのは圧倒的に若者が多い。


選挙から一夜明けて。UBP事務所前。
この国ではトルコは非常に重要な意味を持つ。


主要政党の一つ、民主党Demokratische Partei。


主要政党の一つ、社会民主党Partei der gesellschaftlichen Demokratie。



現在のタラト大統領は(もちろん)トルコ系だが、CTPに属しており
南側との再統一に積極的。

今回の選挙で、その政治地図がひっくり返ったことになる。

思えばわたしが初めてトルコに足を踏み入れた2004年、
国連のアナン事務総長の仲介で南北住民投票が行われたが
仲介案に不満な南側が否決。
問題は凍結された。

では北側住民の意向はどうなのか。
今回の選挙結果でおおよそ明らかになったのではないか。
与党敗北の主原因は経済問題というけれど、それは民族的な意識を容易に惹起する。

現在の経済問題を本当に解決へと導きたいのなら、
トルコに限られている交易を他国にも拡大する必要がある。

そのためには北キプロスの国家承認を求めていくか
南側との統合を模索していかなければならない。

しかるに今回の結果は「否」と見た。
南のギリシャ系との統合は、本音のところでは反対なのだろう。

それならば「北キプロス・トルコ共和国(正式名称)」は実際に独立していないといけない。

トルコのみが国家承認しようが承認しまいが、
独自のシステムを導入して実行している以上、
北キプロスはわたしの中では独立国です。(台湾しかり)

北キプロスは議会・郵便・国旗など独自のものを持っていますが、
肝心の通貨をトルコに握られている(握ってもらっている?)。
通貨はトルコ・リラをそのまま使用。

そして大規模なトルコ軍の駐屯。
首都ニコシアにある大統領府のはす向かいには、より大きなトルコ大使館。
誰も口には出さないと思うけれど、ほとんどトルコの保護国。

あちこちに翻る北キプロス国旗の隣には「必ず」トルコ国旗があり、
まるで睨みをきかせているよう。
この国の住民のアイデンティティはトルコ人なのか、北キプロス人なのか。

トルコにおんぶに抱っこのように見えるのだが。


■北キプロスの議会選、再統合消極派が過半数
(読売新聞 - 04月20日 21:24)
http://news.mixi.jp/view_news.pl?id=814369&media_id=20

 【カイロ=福島利之】南北分断状態が続く東地中海の島国の北部「北キプロス・トルコ共和国」(トルコのみ承認)の議会選挙(定数50)が19日、行われ、再統合に消極的な野党、国家統一党(UBP)が44%の得票率で勝利した。

 南部キプロス共和国(ギリシャ系)との再統合に向けた交渉は昨年9月、南北両大統領の主導で始まったが、交渉へ影響を及ぼす可能性もある。

 UBPは、過半数の26議席を獲得し、単独で組閣する見通し。再統合交渉を進めるタラト大統領出身の共和国トルコ党(CTP)の得票率は29%で、15議席にとどまった。世界同時不況の影響が深まる中、CTPの経済政策への不満の高まりが主な敗因とみられる。
(読売新聞 - 04月20日 21:24)



写真は全てギルネ(キレニア)市内。